これは、私が中学2年生の時、実際に行った生徒会選挙応援演説の再録です。 人物名は仮名です。          1978年9月M市立T中学校体育館にて。  生徒会選挙演説会。体育館内には全校生徒が集まり、壁際には教師が、ス テージ上手には候補者と応援者がパイプ椅子に座り整列している。ステージ 下手には司会者二人。  候補者が演説を終え、紅潮した顔で自分の席に戻る。生徒達はぱらぱらと 拍手。  司会者が口を開く。  「では、次は副会長候補2年D組大原ゆかりさんの応援演説で同じくD組 の○○さんです」  呼ばれた生徒、ステージ上でイスから立ち上がり、中央の演説台へと向か う。また生徒達からぱらぱらと拍手が。  生徒、卓上に原稿を置き一礼。顔をあげると、一呼吸おいてから、静かな 暗いトーンで語り始める。  「それは、ある風の強い日の午後だった....」  「僕は放課後、いつもの道を一人で帰っていた。普段はみんなと帰ってい たような気がするし、何故、その日、たまたま一人だったのかもよく覚えて いない。でも、その日はよく晴れていて、風がとても強かったことだけはよ く覚えている。  僕は、いつも通りの道を多分、ぼんやりと何も考えずに歩いていた。  そこは住宅街で、昼間、ふと気付くと死んだように静かで誰もそこに住ん でいないような感じがすることもあったが、勿論、僕はそんなこと何も気に してやしない。それは毎日のことだったから」  「僕はそんな風に人っ子一人いない街をぼんやり歩いていて、ある家の角 を曲がった。  すると、そこに黒マントの男がいた。  僕は思わず立ち止まった。黒マントを風になびかせ、大仰にもマントを右 腕でまくって顔の半分を隠し、まるで自分が来るのを予期していたかのよう に道のど真ん中に立っている男がいたら、誰でも驚くだろう」  「当然のことながら、黒マントは強い風に大きくなびいていて、さほど広 くない道幅のかなりを占領していた。  僕は、何かの撮影か、いたずらか、いずれにしても自分には関係にないも のと思い定めて、いささか不気味ではあるけれど、今更遠回りして帰るのも しゃくだから、男の脇をすり抜けて行こうと決心した。  しかし、僕が歩き出そうとした瞬間を待っていたかのように男が喋り始め た」  「『○○君ですね』  男はにっこり笑って、いや、男は顔を隠していたから表情はよく分からな いのだけれど、そんな感じで、そう言った」  「まさか自分の名前を呼ばれるとは思っていなかったから、僕はびっくり してしまった。変わった服装が趣味の親戚も、頭のおかしい知り合いも僕に はいないのだ。勿論、黒マントの男に呼び止められる心覚えは全くない」  「『T中学2年D組の○○君でしょう。分かります。驚かせてしまったよ うで申し訳ない。  実は、今日はお願いがあって来たのです』  『おっ、お願い?それで、僕をずっとここで待っていたんですか?』  『いや、別に待っていた訳じゃないんです。何というか...まあ、それ はどうでもいいことです。  用件を先にお話しましょう』」  「男は、マントの向こうからくぐもった声で話した。  『来週、あなたの中学で生徒会選挙があるのをご存じでしょう。  あなたのクラスからも候補者が出ていますね。大原ゆかり....副会長 候補です』」  「僕は、やけにその男がうちの学校のことに詳しいのにまた驚いたが、と にかく強盗とかそんなものでないことらしいことが分かって、それには安心 した。  『知ってますよ、勿論。大原さんだって。同じクラスだから』  『来週の水曜日、最後の演説会があります。そして、翌日には投票です。  ところが、困ったことに、大原さんにはまだ応援演説を引き受けてくれる 人がいない』  男は悲しそうな顔をした。いや、ずうっと笑っていたのかも知れないし、 ずうっと困っていたのかも知れない。  『そこで、あなたに応援演説を引き受けてもらいたいのです。お願いとは そのことです』  『なんでそんなこと、あなたに頼まれなくちゃいけないんですか。  第一、大原さんの応援演説をする奴がいないのも当然ですよ。  あなた、やたらのうちの学校のこと、詳しいみたいだけど、大原さんのこ とは知らないんじゃないですか?  はっきりいって、あいつ嫌われてるんですよ。暗いし、陰険だし、ガリ勉 だし....だから、誰も応援なんかしたくないんですよ。  今度、あいつが副会長に立候補したのも内申書に書いてもらいたいってだ けでしょ。見え見え。  あいつが、人のためを考えて生徒会の仕事を引き受けるとか、そんなこと 絶対ないです』」  「男はじっと話を聞いていたが、僕は内心しまったと思った。男は何故大 原のことなんて頼みに来たんだろう。この男はきっと大原の家の奴か何かに 違いない。僕が大原の悪口を喋ったことも本人に伝わってしまうではないか。  『だから、僕だって嫌ですよ。応援なんて....。後でみんなに何て言 われるか分からないし。変だよ、第一、口をきいたこともないのに』  僕が大原の応援演説なんてしたら何と言われるだろう。そんなことできる 訳がない」  「風がひゅうと鳴った。  『なるほど。分かりました。あなたのお気持ちは。  しかし、あなただって、応援演説を引き受けて損ばかりという訳じゃない。 きっといいことだってありますよ。私だってそんなに無理なお願いをしよう というんじゃないんです』  『どういうことですか?何ですか、いいことって』  『いやいや、どの道、あなたはきっと応援を引き受けてくださいます。私 には分かっているんです』  『もしかしたら、何か取引をするということですか?』  『取引?ふふ、まさか。  選挙の演説ですよ。清く正しい一票をいただこうというんです。その裏で 取引があったなんてことが知れたら....。  ただね、あなたは困っているクラスメートのために一肌脱ぐぐらいのこと はする人です。もしかしたら、私がこうしてお願いに来る必要さえなかった のかも知れない...』」  「『こう、考えてみてください。  私はあなたに一方的にお願いするだけです。それを断ろうが引き受けよう が実際のところ、全くあなたの自由なのです。  しかし、あなたはそれとは全く別の幸運に遭遇するかも知れない。  たとえばですね、あなたは今、学校に忘れ物を思い出したとします。  そして、今来た道を引き返し、その角を曲がる。するとさっきは気付かな かったが、そこに革の財布が落ちていることに気付く。拾って中を見てみる と、中学生のあなたには想像もつかない大金です。勿論、正直者のあなたは すぐ交番に届ける...。交番の場所はご存じですね。駅前です。...あ なたは警官にその財布を届けて今日のところは家に帰ります。しかし、後日、 警察からの連絡で、財布の持ち主が現れたこと、そして、その財布が無事落 とし主のところに戻ったこと、なおかつ、その方が強く謝礼を申し出ていて あなたに是非財布の中身の1割を進呈したいと言っていることを知ります。  あなたのご両親だってあなたの正しい行為に大喜びだ。  あなたは、当然のことをし、当然の謝礼を受け取る。  だからといって、そのことと来週の選挙を結びつける人がいったいどこに いるでしょうか。また、たとえ不審に思われたとしてもあなたは一切不正を している訳ではない。違いますか?』」  「僕の頭は再びぼんやりとしてしまった。  『勿論、今のは何の根拠もない例え話に過ぎません。  ほら、そこの角を曲がったところに財布が落ちているかも知れないなんて 話は....』」  「僕は、男が左手で指さした方、つまり、今しがた来た道を振り返った。  その時、一層強い風が吹き、砂埃が舞い上がった。  振り向いた時、黒マントの男はもういなかった。周囲には誰もいない。僕 一人だった。  それは、ある風の強い日の午後だった....」  生徒は、突然明るい表情になり、場内によく響く声を張り上げる。  「さて、みなさん!!  以上で、大原ゆかりさんが、いかに素晴らしい人間であるか、その清潔な 人柄、自分のことは後回しにして人のために尽くし、そのことをちっとも誇 らない性格、また、陰で人の何倍もの努力を惜しまない克己心、それでいて 笑顔を絶やさず、周囲の人間をいつも笑わせているそのユーモア。などなど がご理解いただけたでしょう。  彼女こそ、今回の生徒会副会長の席にふさわしい人物です。  私は自信を持って、また、彼女の応援演説ができるということを誇りに感 じ、喜び一杯でみなさんにお願いすることができます。  どうか、生徒会副会長には、大原ゆかり、大原ゆかりに清き一票をお願い いたします。  ご静聴、ありがとうございました!!」     空メールボタンです。 読了の際に押していただければ幸いです。 Essaysのインデックスへ トップページへ